癇に障ることで気づかされる | モダンガールのやさぐれ道

癇に障ることで気づかされる

「癇に障る」という言葉がある。

気に入らないとか、癪に障るとかいう意味。

「自分自身でわかってはいるけれど、自分でも気に入らない。

つまり、自分で気にしている事を他人に口に出して言われると

癇に障るといったようなことが起こるんじゃないか。」

というようなことを、素樹文生さん のブログの記事で読んだ。

もう随分前のことだけれど、あたしの中でなるへそ、なるそへ。と

心に残っている。

というか、素直な納得。

こんなことを思い出したのは、最近実際にそんなことを言われたからだ。


gakoがソノコトを相談するのは、もう自分の中で答えが出ているからや。

だから、もう何を言ったって自分の中で答えは出てるんやって。

自分の考えに同調してもらうことで安心したいだけやねんって。」


(前後を割愛して内容を言えばこんな感じ)

こう言われたとき、癇に障った。

というよりも、正直チョイムカツキ。

飲み会の席だから、自分がいじられるのはオイシイこと(関西人的考え)

に決まっているんだけど。それでも、それでも。ねぇ。

癇に障った理由はなんでかなと考えると

やっぱり、彼の発言が的を射ていたからだ。

自分の中で無意識的にこっそり思っていた(つもりの)ことを言い当てられて

あたしは悔しかったんだと。

昔は人に相談するのが恥ずかしいことだと思っていた。

自分の弱みを見せるのは恥ずかしいことだと思っていたし

相談して解決法を見つけたいとか楽になりたいと思う欲求よりも

羞恥心や自意識のほうが勝っていた。

人に深い部分の相談をするようになったのは

大学生になってからだと思う。

それまで、ディープな部分を人にさらけ出すようなことはしなかった。


でも、自分の中で溜め込んでいるととても疲れるし

基本、マイナス思考なので、

ナガシマスパーランドのホワイトサイクロンばりにテンション急降下。

ギブミー、正露丸。ギブミー、ビオフェルミン。

ホワイトサイクロンなら最終的に元に戻ってくるが

あたしのテンションはなかなか元に戻らない。


大学生になってから

いい意味でも悪い意味でも

人に頼ることを覚えたんだと思う。

ブログや他のところで

文章を書いていると

大げさに言えば、身を削るというか

自分の気持ちを吐露することになる。

文章を書くのも気持ちがないとできない。

こうやって1人でパソコンに向かって

パチパチとキーを打っているうちに

自分の弱みをさらけ出してしまっていたのかななんて。


読んでくれる人は、ありがたいことにあたしの文章に

反応を示してくれるから

共感してくれることに甘えていた部分もあるかもしれない。

やっぱり最終的に結論を出すのは自分だし

クヨクヨククネクネ悩んで下向いて考えるよりも

なるようにしかならんのじゃ!という精神が

あたしには少し必要かもしれん。

もっと、自分の気持ちに素直に生きよう。

なんてことを思いながら

彼の的を射た発言に

「なんなんそれ!めっちゃイヤやし!

なんであたしこんないじられてるん!そんなキャラちゃうし!」


なんて反応を返した飲み会の夜。



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