モダンガールのやさぐれ道 -6ページ目

そっくり大賞

子は親の鏡なんていうが

まさにその通りだと。

たまにそっくりな親子を見かける。

右から見ても、左から見ても

斜め45.8度から見ても、

どっから見ても親子。

特に太った親子は普通体型の親子より

そっくり度数120%アップという感じである。

歩き方とか後姿なんてそっくりったらありゃしない。

あれは、やっぱり一緒に生活しているから

親の悪い食生活が

小さい子供に習慣付けられてしまっているからだろう。

かく言うあたしも・・・

なんて言いたい所だが、

あたしの外見は母と全然似ていない。

顔も体型も。

母は身長161センチで普通だし

子供を産んでから無駄に太っている。

(「太っている」っていうのが

あたしと似ていない。としたいのですが

いいですよね?うん、いいよ。うん、うん。)

そして顔。

これは驚くほど似ていない。

母はどちらかと言えば鼻筋が通っている。

というより、うちの家系はあたしを除き(なんでじゃ!)

みんな鼻が高いのだ。

「おなかの中ですっ転んだとしか思えん」

と昔から母に言われてきたくらいだ。

ただ性格はというと、多少は親を引き継いでいるのではないか。

と考えることがある。

引き継ぐというより、そういう環境で育ってきたのだから

自然と似てくるのかもしれない。

母は服飾の学校を出て

裁縫で生計を立ててきた。

今こそ、ダルンダルンに太っちゃって

オ○ラだってプップクプーだが

若い頃の写真を見たときびっくりしたよ、あたしゃ。


それは母がデパートに勤めていた時の

社員旅行かなんかの温泉で撮った写真だったのだが、

温泉ですぞ、湯煙ムンムン出ているような

風情のある場所の

集合写真ですぞ・・・

なのに、1人だけ浮いた格好の女が・・・

「誰やねん、これ。空気読めよ」とあたしが言うと

「それ、お母さんやんか」と母。

温泉にミニスカートでロングブーツ。

しかもセーターが紫でスカートが緑とか・・・

ばんざーい。

ファンキー。

どうりで。わかったさ。謎はすべて解けた。

じっちゃんの名にかけて。

あたしが南国トロピカル柄極彩色のド派手なスカート着ても

赤やピンクやラメや黄色の靴ばかり履いても

「おぉ、こんな所にちんどん屋が着たで」

などのツッコミは入れるが

「止めろ」とは言わなかったワケが。

ちなみに、

やさぐれとか人見知りとか

短気とか1人が好きとか

めんどうくさがりとかの

基本的な性格は父親そっくりだ。









いやぁ~秋の夜長ですな。月見だんご食べ忘れた。クリックお願いします。







いい女のママンはきっといいママン。

「それはわたしです」の矛盾

書くネタがなくて困りつつある。

ネタというか、なんていうか

自分の中でいろいろ矛盾がある。

それをどう表現したらいいんかなぁ・・・

なんて考えているとまとまらないわけで。

なんちゅーか、それも含めて自分だと思うんだけどね。

大学に成績表を取りに行った。

大学滞在時間5分。

通学時間往復3時間。

チェケラッチョ。

何やってんだ、自分。なんて思ってしまった。

通学途中に寺山修司の『家出のすすめ』 を読んでいたのだが

その中の一節に面白いものがあった。

「自立のすすめ」の章の

「わたしは誰ですか?」というタイトルの文章。


近頃では、人は階級か、世代か、職業か、

あるいは名前かで分類されるのが通例となっています。

しかし、これらは、(名前をのぞくと)どれも、人口が多くなりすぎたために、

何人かの共通点(たとえば共通の利益、とか共通の経験)をとって、

便宜的にパターンにはめこんで分類しているのにすぎない。・・・・(中略)

しかし、ともかく、

わたしは自分を「それはわたしです」といい得る簡潔な単独の略号をおもいつきません。・・・(中略)

人は「在る」ものではなく「成る」ものだ

ということを書いた西村宏一のすぐれた詩をわたしは知っていますが・・・・・・・、

わたしもまた、わたし自身への疑問符として自発的に生きてゆく、

といったことを目指すべきではないでしょうか。



就職の面接の時

「わたしは○○な人間です」と言うのに違和感があった。

「自分を一言で」なんてどう表せばいいかわからなかった。

例えば「私は行動力のある人間です。例えば・・・・」と具体例を挙げて

説明していったとしても、その後の具体例の部分を

冒頭でひとつの単語にすることで

具体例が薄れていくというか、

なんだか薄っぺらいものになってしまう気がした。

「いやぁね、10分の面接なんかじゃ、あたしの魅力なんて出せないわけですよ。

ご飯食べながら3時間位喋れば、あたしの魅力がわかるはずですぅ~」

なんて言っても企業には通用しない。

そうやって無意味な妄想をしつつ、考え詰めていくと

「あたしって大したことない人間だなぁ、自慢できる部分なんてないや」

なんて否定的な自分がジャンジャジャ~ン!と登場してくるのだった。

「それはわたしです」といい得る簡潔な略号

○○大学の・・・

日本人の・・・

女の・・・

文学部の・・・

いろいろあるけれどそれは便宜でしかない。

来年には

○○会社の・・・

OLの・・・

○○部署の・・・

という肩書きを使うのだろう。

便宜でしかない。とはいいつつ

肩書きがないとなんだか不安になる。

「何してる人?」と聞かれたら

「大学生」と答えるのが当たり前だった。

浪人生の時は「大学生」という肩書きが欲しくて、欲しくて

躍起になって勉強していた。

肩書きで自分を決められるのはイヤだと言い張る自分と

肩書きがないと不安になる自分。


これもひとつの矛盾ですな。









反応し辛い文章でアイムソーリー。クリックプリーズ。







いい女はね、肩書きとか、なんとかかんとか。


秋という季節が無性に寂しくさせるのは、なんかで証明されているらしい。

出来ることなら後悔したくない。

と、思う。

時の流れというのは

名案!銀行の窓口で順番待ちしている間に

ATMでお金下ろしてこよう!

と、お金を下ろして戻ると

自分の順番を通り過ぎてしまい、また整理券を取り直して

イチから並び直し。意味無いやん!的に

長い長いと思って身構えていると

意外に早いもので

もう10月が目前なんて状況である。

久しぶりに友達に会うと

「夏休み何してたの?」

なんて

「今日は暑いですね」の社交辞令的質問をされるのだが

これが結構困る。

「なーんもしてない」

と答えればそれで一件落着なのだが

なーんもしてない=なんもすることが無い=暇人=人脈ナッスィング

な方程式が出来上がるのである。

てところまで勝手な妄想が膨らむので

「うーん・・・バイトと教習所(しかもまだ第一段階も終了せず)」

と答えることにしている。

幼い頃に身につけた習性というのは

なかなか直らないようで

夏休みの課題や宿題なんてものは

全く手をつけていない。

これは結構ヤバめな状況である。

卒論のテーマすら決まっていない。

そして明日はついに

成績表を受け取りに

片道1時間半電車の旅を敢行せねばならぬ。

なんかいろいろ考えたら

めんどくさいなぁ

なんて思ってしまうが

「それもこれもどれもあれも

社会人になる為のプロセスですぜ!」

という声が

「そろそろ、フリ卒、フロム・エ~」

CMばりに聞こえてきて

のんびりしすぎたカラダと精神に発破を掛けてくる。

まぁ10月からは朝もバイトすることになるので

イライラ精神が倍増することが予想されるので

もっとおしとやかに真面目に

ならにゃイカン。

とか言いつつ

夏休みにせめて

USJのひとつやふたつやみっつやよっつ

行っとけばよかったなぁ・・・

なんて後悔しているのも

事実であった。

ちゃん、ちゃん。







さ、教習所行ってこよ。なんの人脈もないけどクリックお願いします。




いい女はフリ卒しますか?

生まれつき阪神ファン

折角(オリカドって読んじゃイヤヨ)関西ジャンルに

移動したので、関西らしい話題をひとつ。

あたしの兄は

この世にオギャーと生を受けた瞬間から

阪神タイガースファンである。

あたしのように大阪人でありながら

阪神にそこまで興味の無い女にとったら

(どこファン?ときかれたら

一応阪神ということにしているが)

バカみたいと思うのだが、

本人生まれた瞬間から阪神ファンになったと言うのだから

仕方ない。

今年は阪神の優勝目前ということで

関西のTV番組は

阪神、阪神、寝ても覚めても阪神。

ニュースもバラエティーも阪神。

情報番組も阪神。

とりあえず阪神なのである。

M8も点灯し

カラオケBOXでは阪神優勝した瞬間から半額!

商店街では岡田監督の背番号にちなんで

松茸一盛800円!

なんて騒いでいる。

2年前から年間指定席を購入している兄にとって

阪神優勝の瞬間に立ち会えるかどうかは

重要な問題であるらしい。

社会人なので、彼は平日は観戦に行けないのだ。

これだけ応援しているんだから、俺の観ている瞬間に

優勝してくれ!というもんである。

そう、これだけ応援しているのである。

彼の人生は阪神タイガースのおかげで

楽しいものとなっていると言っても過言ではない。

小さい頃の写真はいつでも阪神帽を被っているし

GWには東京やら松山やら広島やらに出掛けて行く。

あたしからしたら

近所に甲子園あるんやからそこで観たらええやんか

と思うのだが

兄からすれば遠征することに意味があるらしい。

4月に兄は車を購入したのだが、

当然・・・?

阪神タイガース仕様になっているのだ。

車の色は金。(虎を意識?)

メーターの上(あそこ何ていうの?)には

細長いタイガースのタオルが掛けられている。

そして極めつけは・・・

バックガラス(?後部座席の後ろのガラスね)に

黒いコーティングフィルムが張られていると思ったら・・・










タイガース

阪神タイガースのロゴですやん!

(丸の中に虎がいるやつね。)


折角(オリカドって読んじゃダメヨPart2)

免許を取得しようと教習所に通っているのに

免許取っても、恥ずかしくて家の車乗れませんやん。

阪神ファンってバレバレですやん。

阪神ファンはなんでファンであることを

公共に示したがるのか不思議でならない。

他球団のファンよりそういう思考が強い気がする。


我が兄よ。

お願いだから、試合の後

甲子園から自宅までハッピやユニフォーム姿で

帰宅するのは止めて下さい。

地元の駅で浮きまくりですから。





基本、ブラコンですがこれだけはイヤ。クリックお願いします。






いい女は野球どんだけ知ってます?

不機嫌な都会。

大阪生まれの大阪育ちで

家のすぐ近くには大きな自動車道や

モノレールが見えるわけで。

電車に乗ったら20分で梅田に出ることができるわけで。

そうやって

結構な都会で生まれ育ったあたしだが

人ごみに紛れて1人で歩くとなんだか

不思議な寂しさに襲われる。

1人というより「独り」という感じ。

休日の午後独りで都会を歩く。

ショーウインドウに映っている

そういう時のあたしの顔は

誕生日にショートケーキが食べたかったのに

チョコレートケーキを買ってこられた子供のように

すんごい不機嫌な顔をしている。

そんでもって

いつもの癖で腕を組む。

楽しそうに歩いているカップルや

ナンパする女を物色しているギャル男グループや

高い化粧品を悪気も無しに売りつけるキャッチセールスの女を

横目に早足で歩く。

周りが複数で自分が独りだからか?

こんな時に限ってケータイなんて絶対鳴りやしない。

というより、普段からあたしのケータイは

電話やメールよりも

インターネットをする為のモノでしかない。

こういうとき

すれ違いざまにドンッと肩がぶつかった

窪塚洋介やオダギリジョーみたいな

ミステリアスな青年に

「自分だけの秘密」の場所

とかいう高層ビルの屋上に連れて行ってもらって

なーんだ、都会だ、都会だって

なんだかんだ言うけれど

こうやって上から見下ろしたら

みーんなちっせーもんだなぁ。

なーんて言いながら

缶コーヒで乾杯をする

なんてことがあったらいいなぁ

と思う。

あ、でも窪塚だったら

いきなり屋上から飛び降りられたら

イヤだなぁ。

そんなことを考えているうちに

今日も夜が更けていく。

早く日常に戻らなくては。






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いい女は2人で歩きましょう。

きりんさんが好きです、でもぞうさんのほうがも~っとすきです。

「子供と動物が大好きな優しい男の人が好きです(はぁと)」

なんてあたしには言えない。

というのも、

あたし自身が子供と動物は苦手だからだ。

「子供なんて喧しいだけやし、動物なんて臭いやん!」

というワケではない。

子供も動物もそれなりに可愛いとは思う。

ただ子供や動物が近くに寄ってくると

どう接したらいいのかわからないのだ。

末っ子で自分より弱い存在が近くに居なかったからかもしれない。

青と赤があって

あたしが「青がいい!」と言えば

兄は青を選びたくても、必然的に赤を選ぶのが

あたしと兄との関係だった。

兄は「お兄ちゃんなんだから我慢」して、妹に譲らなければいけない

というのが我が家の暗黙の了解だったのだ。

そんなこんなで適度な甘やかしを受けた妹気質のあたしは

子供やら動物やらは苦手になってしまったようなのだ。

親戚の一番年下が今年専門学校に入学した子なので18歳だ。

我が家の親戚はなんかいろいろあるので

血の繋がっていない子なら幼い親戚がいるのだが

その3歳児ともどう接すればいいかわからなかった。

その子にとってあたし、

オバサンでもなけりゃー親切なお姉ちゃんでもないし。

年下に対する免疫が無い。

高校生の時、家庭科の授業かなんかで

保育所で体験学習のようなことをしたのだが

子供ってモンは容赦がない。

あたしの名前は「○○子」と最後に「子」がつく

もっと考えて名前つけろや!と親に文句が言いたくなるほど

ありふれた名前なのだが、

それだけで子供は

「おねえちゃん、うんこ!うんこ、うんこ!」

と言ってくるのだった。

「なにぃ~じゃあ君はおしっこだぁ~!コラコラ~!」

なんて気の利いた(?これって気利いているのかわからん)

返しも出来ずに

「こしか合って無いし!」と思いつつ

作り笑いをするのが精一杯だった。

ちゅーわけで子供は苦手なの。

ブサイクな子供に限って無駄にやかましいんだからっ!ぷんぷん。



動物に関しては

小学生の頃、兄が小学校の正門前で

怪しさ満点のヒヨコ売りのオッサンから買ってきたヒヨコが

一ヶ月で死んだことがあって以来

苦手になってしまった。

しかもそのヒヨコはあたしが手に乗せてナデナデしていた時に

いきなり暴れ出して苦しんで・・・硬くなってしまったのだ。

まさに青天の霹靂。

それからは愛情を感じているのかいないのかわからん

縁日の金魚すくいのオマケの金魚しか飼っていない。

あたしは金魚の水槽のぬるぬるがイヤで

水槽を洗うのがイヤでしかたなかったので

母がいつも金魚の水槽の水を換えていた。

そもそも、あたしは動物を飼うのに向いていない性格らしい。

犬や猫も

とてもいいとは思うのだが

「めっちゃうちの子、可愛いとおもわへん?」と

ニコニコ笑顔で飼い犬や飼い猫の写真を見せられると

反応に困ってしまう。

「あ~うん、ほんまやねぇ」

くらいの返ししか出来ないので、飼い主の気を悪くさせること必須だ。

だから、あたしにペットの写真を見せたり

自慢をしないほうが聡明だ。

すいません。としか言いようが無い。



そんなわけで、子供や動物に対して

もっともらしい反応ができないという

可愛げのカケラもない女なのである。


こればっかりは治らないかなぁ・・・

子供も動物も、見ている分にはいいんだけど。

あじゃぱー。









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いい女はきっと子供好きだよ・・・

テンション低い人。

他人と自分の温度差を感じると

辛くなる時が、ある。

あたしは大体において

テンションが低い。

叫んで、踊って、酒飲んで

ハメをはずし過ぎて

目が覚めたら裸でベッドに寝ていて左を見ると

見知らぬ男が・・・なんてことはまずない。

(ってこれは明らかにドラマ観過ぎ)

まぁそれは大げさな例えだとしても

とにかく大きな声で騒いだりするのが

苦手なのである。

関西人だから、根本的にはしゃべりだ。

ただそれは気を許した仲間内や家族に対してだけで

初対面や決められた組織の中でだと

目立つのはあんまり得意じゃない。

大勢でカラオケに行くとまず、

自分のポジション確保に奮闘しなければならない。

ウマイこと相槌うてないのだ。

(掛け声?なんかあるやんイマドキの歌に。

ケツメイシやらなんちゃらスライムやら)

周りがテンション高いのに

自分だけは妙に冷静だったりする。

密かにカラオケビデオのストーリーにツッコミを入れてみたり

するくらいのものである。

応援なんかも苦手な部類である。

いや、別に人が頑張る姿に興味ないとかじゃないのだ。

運動会とかでリレーの選手が目の前を通るたび

「キャー○○くぅ~んガンバレ~!!」

とか

「レッツゴーレッツゴー3組!」

とか言うのが苦手。

日焼けしないようにタオルを頭からかぶって

必死に走る男子のハミパンを観察するくらいである。

傍から見たらつれない奴でしかない。

心の中ではしっかり応援している。

ただ、大声を出している自分に違和感があるのだ。

大人になると

酒という手段があるので

それが利用できればなんとかなると思ったが、

あなオソロシや、あたしは酒が飲めないのだ。

旨いとも思わんし、欲しいとも思わん。

なんということだ、神よ。

就職活動で自己PRするのなんか

実はとっても困り果てた。

活発じゃないとダメ的な風潮が世の中にはある。

というか、そうであることが社会で働くには

必要な要素なのだ。

ダダ暗い女ではない、念のため。

ただ、基本的にゆるやかな波の気分で過すほうが

自分的には落ち着くということだ。

「あの子、おとなしそうに見えるけど

怒ったら怖いよね」

というタイプそのものである。

現に怒ったら怖い。自分でもどこまで怒ればいいのか

わからなくなるときがある。

中学の時ある事件である男子にめちゃくちゃにキレて

椅子まで蹴って罵倒してしまい、めちゃくちゃ気まずい

一年間を過さねばならなかったことがあった。

あれ以来、人前で本気で怒るのは辞めようと誓った。

もう、大人ですから、はい。

でももうすぐ内定式だし

こんなことばっかり言っていたら

世の中渡りづらいので

モゾモゾ喋るのと

興味の無いことにあんまり反応を示さないのと

人の目をしっかり見ないのは

直していこうと思う。

でもインドア派は推進する。

これだけ読んだら

付き合い辛い人間のようですが

なかなか味わいがありますよ・・・(いいわけ)







なんか毎日無意味な夜更かししている。これがあかんのか。クリックお願いします。






これで美人だったらかっこよくミステリアス気取るのにな、フフ。

天職ってなんだろう

天職ってなんだろう。

まだ働いたこと無いから本当のところはわからない。


朝日新聞の生活面で

テイクアンドギヴ・ニーズの野尻佳孝社長(33)と

横浜市の路上ミュージシャン山根哲彦さん(27)を比較して

天職とは何かを問う3日間の連載があった。


一方は今をときめくヒルズ族。社長。

一方はメジャーデビューを目指すミュージシャン。

対極の人生だ。


あたしは

「自分のやりたいことって何だろう?」

と毎日必死に考えて就職活動をしていた。


この連載を読んで感じたのは

就職は必ずしも将来を決定するものではない。

ということ。


ある程度人生を左右するとは思う。

就職すると少なくとも一日8時間、

週5日会社で過さなければならないのだから。

生活のほとんどを支配されることになる。


だからこそ、やりたいことを。



そうあたしは考えて就職活動をした。

結果、あたしは就職活動中の思いとは

別の業種の職に就くことになった。

就職活動を開始した当初の自分だったら

きっと許せない結果だったと思う。


それに未だに

あと半年で自分が仕事をしていることが想像できない。

今なんか朝9時に起床して

「あたし、休み中なのに規則正しいやん!」

なんて思っているけど、

就職したら

トイレ行って、顔洗って、ご飯食べて、

通勤ラッシュのおっちゃんサンドイッチの具状態と格闘して

この時間には会社で仕事を始めていなければならない。



やりたいこと。

それをやってお金を稼ぐことができたら

「夢を叶えた」といわれる。


それをやっいてもお金を稼げないと

「就職もしないで・・・何やってんだ」といわれる。


野尻さんはもちろん素晴らしいと思う。

あたしにはそこまでのノウハウや行動力や統率力

それから儲ける能力がない。(これから自分がどう化けるかもわからんが)

でも、山根さんもすごいと思う。

今のあたしの感覚ではマネできないからだ。

肩書きも全て捨てて、自分一本で路上に立つ勇気はあたしにはない。


今まで人並みに夢は見てきた。

ただ、それを行動に移すことができるかできないか。


行動に移すって難しいと

最近つくづく思う。

今だって

「卒論どうしよう・・・」

「バイトもうひとつ掛け持ちしないと・・・」

「卒業までに海外旅行したい・・・」


なんてつぶやいているけど

この文章書くのに3時間位かかっている。

3時間というのはもちろん上手く言いたいことを

言う為に推敲を重ねたのさ!

というのは嘘で、

安くて可愛くて一点もので個性的なアクセサリーが欲しいなぁ

と思って手作りアクセサリーのサイトを

廻り巡ってウインドウショッピングならぬ

ネットサーフィンショッピングをしてしまい(しかも買ってない)

肩こりと目のかすみを併発しているところだ。




「時は金なり」

とデコに刺青でも彫ったほうがいいんじゃないかこの女は。



でも実は、つぶやきのひとつは動き始めてしまった。

バイトがひとつ決まったのだ。

飲食店のランチのホールだ。

大阪の中心地のオープニングスタッフなので

相当忙しいらしい。

プラス、コンビニバイトと卒論。

もう動かないといけないのだ・・・




天職の話から逸れてしまったが

想像するに

あたしが会社に入っても

今ぼんやりと心の奥底にある夢を実現させたいという気持ちが

まだ存在し続けているとしたら


それを行動に移すことが出来ない限りは

夢なんか叶えられないということみたいだ。



「とりあえず」

なんて言いながら働きたくない。

早く大人になりたい。

本当の意味で。



おとなって、おとなって・・・



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いい女は行動力も・・・?




くすぐったいプラネタリウム(@携帯)

梅田から中之島まで歩くとさすがに汗ばんできた。
秋めいてきたので今日は長袖だ。


近代美術館の展示をみた。よーわからんかった。美術館は異様に空いていて快適だか不快だかわからないような感覚だった。

時間が有り余っていたので隣の科学館のプラネタリウムを見ることにした。

チケットを買って行列に並ぶと…
カップル、カップル、GAKO、カップル、カップル…

うわぁい!サンドイッチだい。


プラネタリウムの解説の男の声がFMラジオのDJみたいでおかしい!と1人心の中でツッコミをいれた。


待ち合わせまでだいぶ時間があるのでカフェでアップルパイとスイートポテトとカプチーノを食す。
そうだ、ダイエット中だ…と思いつつ1人で文庫本を広げつつ甘い物を食べる贅沢。


本の題名は『家出のすすめ』(寺山修司)。
しばらく読書をしたら待ち合わせ場所へ行こう。


今日は高校のクラブ仲間との飲みだ。みんなきっと変わっていないんだろう。


来年本当に家を出て東京に行っても、変わらないでいたいな。


カプチーノが冷めてきたのでこのへんで失礼。

親友とか。

親友

という定義があたしの中ではイマイチよくわからない。

広辞苑によれば、[信頼できる親しい友。仲のよい友人。]

であるらしいが

「信頼できる」と「仲のよい」は

現実世界では並立しない。

と思う。

こんなこと言う自分はいわゆる「寂しい奴」なんだろうか。

と自分でも思う。(言われる前に言っておく)

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学

社会的なカテゴリーの中で育つと

それぞれのカテゴリーで出来る友達がいて

そうやった決められたカテゴリー以外でも

習い事、旅行、バイト

いろんな場所でできる友達がいる。

でも、『親友』は

なんだかとても特別なひびきがある。



どれだけの時間を友人と共有し

どれだけの時間を1人で過すのか

この望みは個人によって違う。

平均的に見れば(何を基準に平均っていうのかは

わからないけれど、自分が周りを見る限りでは)

あたしは1人で過す時間の方が多い人間だ。

大学で授業を受けるのも1人。

図書館に行くのも1人。

ご飯も1人でも結構平気。(毎回だとさすがに寂しいとも思う)

昔はそうじゃなかった。

大学生になるまで家以外でご飯を1人で食べることなんて

考えられないことだった。

いつも一緒にご飯を食べる友達が決まっていたし

一緒に遊ぶ友達も決まっていた。

大学になると

そんな決まりなんかなくても平気だった。

仲が悪いわけじゃない。

かといって

「あたし、○○ちゃんと仲いいんだ」

と他人に言えるのかと言えば、

言えない。

友達とそんな距離感を持つようになった。

クラブやサークルや学科で

いわゆる「仲間」を持つ人をうらやましく思わなかった

と言えば完全に嘘になる。

こんなことを書くと

「冷めてる奴」と思われても仕方がない。

でも友達と親友は違う。

全ての友達に自分の全てを話すわけじゃない。

無意識に友達によって話す限度を設けている。

就職試験の適性検査で

「誰とでも同じように接することができる」

「誰とでも同じように接するべきだ」

なんて質問があれば

あたしは必ず「いいえ」を黒く塗り潰す女だ。


特に女はややこしい。

小学校高学年ぐらいから

「グループ」を作り出す。

クラスの20人の女子から4つ、5つのグループができ

いつの間にかグループの力関係ができていく。

クラス平等ではないことを女子はみんな知っている。

グループという順位があって

グループ内でも順位がある。

あたしはそういうのがイヤでしかたなかった。

というか、

めんどくせぇ。

と思った。

高校2年の時、クラスのどのグループにも入ることができなくて

毎日憂鬱で仕方なかった。

クラス内を闊歩するいわゆる「イケてるグループ」を

横目で見る度に

鬱陶しいと思った。

全てグループに入れない自分のせいだと思った。

一番楽しいはずの修学旅行が一番イヤだったのを今でも覚えている。

そんなことがあってから

適度な距離を自分で知るようになり

必要があれば、話しかけてグループに混じるようになった。

好きな友達はいる。

好きだし、大切だ。

ずっと友達でいたいと思う。

ただそこで完全に自分をさらけ出す勇気や

受け止める勇気がない。

親友はいつかできるだろうか。

もっと大人になればわかるだろうか。

正直、こんな自分はちょっとイヤだ。



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いい女の友達関係は?